はじめに・知っていてほしい前書き
はじめに
ひと月ほど前に彼氏のような人と嫌な別れをして、むしゃくしゃしていたことも相まって、自分の市場価値を知るためとか、単に経験を積むためとか、タダ飯をかっくらうためとか無意味な理由づけをして、「おしゃれをして男性と食事をし、セックスを楽しむ」という世間的には「デート」と呼ぶようなことにトライしてみました。
その体験が私にどんな影響を与えたのか、忘備録的にまとめていきたいと思います。
赤裸々に私的にOKな感覚で綴っていくので、少しでもNGと思った方はブラウザバック、こんなの下ネタじゃないよ、という私と同じ感覚の人は一緒に楽しんでくれればいいと思います。
知っていてほしい前書き
そもそも、私は性的なことについて、少しエッジの効いた感覚を持っていました。それは痴漢についてとか、セクハラについてとか、レイプについて、LGBTについてを考える機会に恵まれていたからだと思います。
一番身近だったのは、「子宮頸がんワクチンのお知らせ」が家に届いたとき。子宮頸がんワクチンは、自治体によって無料で受けられるものでしたが、副作用に非常に重篤なものがある、と言って受けたがらない人もいました。私の母がそのうちの一人で、当時高校生、未成年だった私は、そのワクチン接種を見送りました。
しかし、自治体で通知が来るほど推奨されているものだし、本当に受けなくていいのか、そもそも子宮頸がんとは何ぞや、ワクチン接種で避けられる癌が存在するの?という疑問のもとその病気について調べ、友人と意見交換をしてみたのです。
結果、「ヤリマン病じゃん」という所に話は落ち着きました。
子宮頸がんとは、ヒトパピローマウイルスという男性器にしか存在しないウイルスが、女性器に入り込むことで発症することがあるウイルス性の癌で、ウイルス性の癌ということはコンドームを付けることで予防できるそうで、コンドームを付けない女性=ヤリマンである、という軽薄な方程式を私たちは組み立てたわけです。
あまりにも思いやりのない、他人事な結論でしたが、そこで私は思いました。
「私にはヤリマンになる権利がない」
当時の私は、フランス革命期の市民になりきって、自分の権利を主張することばかりを考えていたので、その権利を取り上げる母に対しての憤慨が生まれ、ヤリマンへの好意的感情に変りました。もちろん処女であった私は、実際の性行為などは妄想で補うばかりで、その手の届かなさ故に、ヤリマンに対する憧憬はどんどん募っていきました。
日本では多くの場合、神聖視されがちな性行為ですが、それを気軽に行って楽しむヤリマンという存在が、パンクロッカーのように伝説的に輝いてみえたのです。妊娠も性病も恐れないで、恥ずかしげなく自分の欲望にのみ従い楽しむ。人間の目指すべき在り方にも思えました。
それからしばらくして、私も初体験を迎えました。
しかし、相手も初めてだったということと、サイズ的な問題で、全然よくなかった。え?ヤリマン達ってこんなキツイことしてるの?毎回ローション使わなきゃ使い物にならないの?じゃあ一人でやっているほうがよくない?
セックスに対する意欲はどんどん下がっていき、その彼氏ともすぐに別れてしまいました。
いやー、でも私はもしかしたら天性のヤリマンだったのかもしれません。
別れた後も欲するんですよね、体が。ブツを。おもちゃを買うのは空しすぎて抵抗あるし。それで次に私がしたことは一緒にしてくれそうな男探し。見つかって、サイズも良かったし研究熱心だったし、あ~良いな~と思っていたのですが、そこで私に迫ってきたのが、セックスと恋愛感情を切り離せない問題。自分でもおかしいと思うくらい盲目に飢えていて、本当にバカだった。その時は自分が天性のヤリマンだっていう感覚は全然なくて、普通に恋する普通の女の子だと思ってました。ウンウン。
世の中には適材適所という言葉がありますから、適した場所に適した人を。ヤリマンに普通の恋路など与えてはメンヘラが生まれるだけです。
ヤリマンがヤリマンらしく健康的に楽しむためにはどうしたらいいんだろう。
ヤリマンでも尊重されて、自分らしくあれるのはどういう場なんだろう。
そんなことを考えてみたくて作ったセックスコラムブログです。
色々な表現の拙さにはご容赦を。樵系の言葉をつかわざるを得ないときがあるかもしれません。少し時間がかかるかもしれませんが、よろしくお願いします。
私に希望を与えてくれた”Sex and The City”関係者に多くの感謝を込めて。
リトル・キャリー代表