声を大にしてセックスと叫ぶ

セックスアンドザシティの四人娘になりたい

セックスが先か、愛が先か

 ―”Which comes first, chicken or love?”― by Carrie Bradshaw 

 

鶏とたまご

鶏が先か卵が先か」という哲学における長年の問いに対して、夏休みこども電話相談室の鳥類学者は、「鶏が先ですよ」と即答していた。

確かに、生物学的に考えれば進化論を適用させるわけだから、単細胞生物からルーツをたどれば、簡単に答えは出てくる。

この例えが使われるのは、逃れられないジレンマであるということを示す場においてである。セックスが先か愛が先か、という問題は、鶏とたまご問題と違ってなかなか答えの出ない問題なのだ。

 

 

セックスが先か、愛が先か

この問いは、お互いが恋愛対象となるためには、肉体的なセックスと精神的な愛のどちらを優先させるべきか、という趣旨のもの。愛というものが友愛とか博愛ではなくて、恋愛感情という意味においてならば、駆け出しヤリマンの私としては、愛が先かなあと思う。

セックスは、正直人間的に好意を持てれば誰とでも出来る。(別に好意を持たなくてもできるが、そうすると自分が唾の吐かれた道路になったみたいな気持ちがするのでできれば避けていきたい)その所為か、好意をはるかに超えた恋愛感情は抱きにくくなってしまった気がする。
というより以前ここに書いたように、そのバランスをはき違えたせいでかなりのメンヘラと化してしまってから、自分に見合ったバランスでの恋愛とセックスの関係を反省した結果、以下の教訓を得た。

セックスのみで恋愛感情を抱こうとしてはいけない。

 

ヤリマン≠メンヘラ

ヤリマンとメンヘラはしばしば混同されがちな人種であるが、全く異なるものだと私は主張したい。

ヤリマンはセックスが好きで、それをすることで精神的にも、肉体的にも満たされている女の子のこと。一方で、メンヘラは、精神的、肉体的に健康じゃないから、セックスをして満たされたいと思う女の子のこと。(セックスじゃなくて、自分の体の一部をさらしたり、自慰的な自傷行為をさらすことで満たされたいと思う子もいる)セックスの目的におけるベクトルが全く別の方を向いているのがわかるだろうか。

セックスと恋愛をはき違えた天性のヤリマンこと筆者は、精神的なバランスを保てなくなってしまった。あれ?セックス気持ちいよ?好きってこと?好きじゃないとセックスって気持ちよくないよね、好きなのかな?でも全然心が納得しないよ?おかしいな?そうして、心を納得させるために何度もセックスを試みるけれど結局、イった時の快楽と恋愛の切ない胸キュンを同じものと思い込んでしまう始末。そしてよりセックスにのめりこみ…、と完全にセックスを精神を満たすための代用品にしていたのだ。

もともと底なしのヤリマン体質に、メンヘラ要素が加わり、自分がわからずしっちゃかめっちゃか。まったくもって不健康のスパイラルに落ち込んだ。我が友には本当に感謝。

正気に返って問題点を洗い出した時に、どうしても初回デートでワンナイトをかました自分を否定できなかった。ただ、そこに恋愛感情を持ち出してしまったことが一番の後悔だった。

 メンヘラにならないように、健康的なヤリマンとしての意識を作り上げよう。こうして実践的な自己改革を始めることにしたのだった。

 

男性はどうなの?

さて、私はそんな教訓を胸にセックスを楽しんでるわけだが、私の相手をしてくれる男性は、いったいどう考えているのか。

前回の記事で登場したIT企業社員は、「俺、女の子とワンナイトして捨てちゃうの良くないと思いはじめた」といっていた。(笑)。この人の頭の中では、すべての場合において、自分が「捨てる側」であるらしい。まあ、これ以上煽るのはやめておいて、彼はどうやら、セックスだけでは恋愛感情につながらないタイプのようだ。

駆け出しとヤリマンとはいえ、何回か経験してからこのブログに望んでいるので、サンプルはもう少しある。

IT企業社員の次に出会った、年下の大学生は、なかなか可愛かった。ラブホで二人で湯船に浸かりたがったり、解散後もなんだか可愛い絵文字を送ってきた。適当に流してしまったので、真意は断定しかねるが、行為中に「俺と会ったとき嬉しかった?」と聞いてきたから、ほぼセックスすると恋愛感情も芽生えてしまうタイプといえると思う。流したせいで、もう会ってくれなさそうになってしまった。キスがおいしかったのでもったいない。

つまりは、男性も様々であるようだ。セックス相手に関して、女性は情深く、男性は薄情だというような通念があるが、この場合も例のごとく、人によるらしい。

しかし、駆け出しヤリマンとしては後者よりも前者の方が都合がいい。なぜならば、後者は相手をメンヘラ化させてしまうという危惧があるからだ。自分と同じような末路を他人に与えたくはない。かといって、前者は例の彼のようにヤリマンを人として見てくれない男性が多いかもしれない。できれば前者のタイプで、人間性のある相手を探していきたいところだが、それにはまだ私の経験が薄すぎる。語るに落ちるは避けたい道なので、この問題は先延ばしにさせてもらう。

 

さて、今回の記録のまとめ。

ヤリマンが、セックスのみで恋愛感情を抱こうとしてはいけない。

セックスだけでは恋愛感情につながらないタイプで、人間性のある相手を探していきたい

 

次回は、ヤリマンの七つ道具、です。

ヤリマンは人間じゃない

 

ヤリマン・デートの流れ

難しいことはありません。

Step 1 会う

Step 2 食事

Step 3 セックス

たったこれだけ。3ステップ。ポイントカードの申請とおなじ手軽さ。

一番ハードなのは、食事。相手の退屈な話を聞いて、面白がったり、マウントをとらせてあげる。会うまでのメッセージは適当に絵文字をつけておけばいいので気軽なんですが、実際に会うってなると表情も変えなきゃいけないから、だるい。

でも、食事にはいくべきです。自分がリラックスするためっていうのもあるけど、相手が私をどう扱ってくれるのかわかるから。

 

 

お食事のススメ

出会い系サイトで相手を探している人って、意外とまともな人が多い印象。ベンチャーの社長とか、自称アーティストは置いておいて。大学生とか会社員なら感覚はとても一般的なんだなということが話していてわかります。普通に恋人も作れるし、私生活にも満足している。一時的に寂しくなってその空しさを埋めたいけど身近には手を出しにくい。そういう人がわらわらいます。

そういう普通に成功している人は、出会い系サイトで知り合った男と会ってしまう女の子を見下すんです。言い切れないけど、見下しがち。女の子との会話で得るものなんてない、とか思っているのかな。セックスも独善的でした。

最も顕著だった某大手IT企業の社員は、食事中、ひたすら「俺の夢」を語っていました。将来俺は人の助けになる仕事がしたい。俺は人と話すための勉強とか、自分を効果的に見せるための研究とかをしているんだ。「俺と食事するの楽しいでしょ、わかる。」みたいな感じでした。キモい。

肝心のセックスは、「俺、寂しい」と謎の誘いをしてきてからの自宅連行。私を濡れさせるための一連の機械的な前戯のあとにゴム無しで挿入しかけて、死ね、自分がいったら終わり。死ね。「女の子をいかせたことはほとんどないなー」とか言っていました。死ね。

顔面も好みじゃなかったし、キスも死ぬほどまずかったので、今後は絶対ないなと思ってそこから軽く塩対応したら、タクシー呼ぶとか言っていたのにそんなこと全くしてくれませんでした。腹立ったしそんな人にさわられた体で人目に触れたくなかったので、意地で黙ってタクシー拾って帰りました。

お兄さん、遠くまで運んでくれてありがとう。

 

ヤリマンは人間じゃない

もし、私が某大手IT企業の社員の彼女だったら、きっと彼はもっと私を労わったセックスをしたでしょう。私が言わずともゴムを付けただろうし、ゴムがあるのに、あるかなーなんて言いながら探しにはいかないだろうと思います。

そこで気付きました。「いま、私は人間じゃないのかもしれない。」

あわよくば、後先を考えずに生でやれるような、女の形をした穴。

確かに私は彼に対して、セックスをすることは許しました。でも、私を穴として扱っていいとは言っていない。お互いにワンナイトだとわかっていて誘われ、許すと、どうしてそれは人間として扱わなくてもいいということを許したことになるのでしょうか。

 

これは、①日本で男のポルノ文化が肥大して広まっている所為なのか、単に➁彼が最低男なのか、それとも③私が新時代を行き過ぎているからなのか。

 

①は、よく言われることですよね。AVとか、エロ漫画とかの文化が日本ではほかの国と比べて非常に発展している。そして、男性が自慰行為をすることは当たり前の権利であるかのように声高に主張されるけど、女性の自慰行為は隠すべきものとされる。

こちらとしては、日に何度も出さなきゃいけないとか知らねえよって思います。私も生理前とか一発やらなきゃ寝れねえよ。

AVやエロ漫画はとても男性本位に描かれすぎていて、男性に振り回されることに女性が喜ぶ描写とか、嫌よ嫌よも好きのうち描写とかが多いように思います。その所為で、男性本位に女性を穴として扱うことに違和感を覚えない。そう考えることもできますね。

(話はそれますが、AVを見る男性にぜひ勧めたいのは18禁のBL漫画です。性欲もあり、恋愛欲もある、でもさまざまな理由で、現実では決して満たされない女の子たちが作り上げた文化です。男同士のやり取りだから、もちろん二人の立場は平等。攻めは受けが喜ぶように、受けは攻めが喜ぶようにお互いに尽くす描写が非常に多いです。これを書く女の子も、読む女の子もどちらかに感情移入して「萌える」わけですから、潜在的に平等な扱いを望んでいる女の子は多いと思います。)

 

➁これは、上述した通りです。

 

③そして、これが最も考えなくてはならない問題です。

もしかして、ヤリマンってポピュラーじゃないの?

もしかしたら、ただセックスが好き、入れたい入れられたい、気持ちいいのが好き、という女の子は非常に稀なのかもしれないです。

…驚きました。ヤリマンって広辞苑に載っていないんですね。

(あらためてWikipediaで調べてみると、「男性側からの蔑称」なんてことが書かれていました。ハハン。これもAV文化の負の遺産だったわけですね。)

色々問題はありましたが、LGBT広辞苑入りしたり、アセクシャルなどが知られるようになった現代で、どうやらヤリマンはまだまだ無名な存在らしい。

しかしこのブログはヤリマンについて考えるブログです。たとえ広辞苑に載らずとも、私は自分自身と向き合い、私と同様の他の女の子たちの存在を知ってもらわなければ。

ぶっちゃけノリと勢いで書いているので、そんな使命感は実際ありませんが、インターネットに載せているからには、私みたいになって少し悩んでる女の子に届けばいいと思います。

 

そして、ひとつわかってもらいたいのが、私はしばしば女尊男卑的な発言をしますが、セックスをするときは相手の男の子の事を尊重してオーラルセックスもするし、乗るし、ゴムもつけるし、開発もします。食事の時は自分の話ばかりしないし、サラダも盛ります。レストランで働いてたことがあるのでワインもビールも注げます。お礼も言うし、相手がこちらを見てくれる人だったら、普通に割り勘します。

こちらとしては、男性を棒としてみても、楽しくないんですよ。だから食事も前戯だと思って臨んでいます。

 

 

最後に、SATCのキャリーの言葉を次回の布石として、今回を終えましょう。

 

―”Which comes first, chicken or love?”

 

リトル・キャリー代表

はじめに・知っていてほしい前書き

 

はじめに

ひと月ほど前に彼氏のような人と嫌な別れをして、むしゃくしゃしていたことも相まって、自分の市場価値を知るためとか、単に経験を積むためとか、タダ飯をかっくらうためとか無意味な理由づけをして、「おしゃれをして男性と食事をし、セックスを楽しむ」という世間的には「デート」と呼ぶようなことにトライしてみました。

 

その体験が私にどんな影響を与えたのか、忘備録的にまとめていきたいと思います。

赤裸々に私的にOKな感覚で綴っていくので、少しでもNGと思った方はブラウザバック、こんなの下ネタじゃないよ、という私と同じ感覚の人は一緒に楽しんでくれればいいと思います。

 

 

知っていてほしい前書き

そもそも、私は性的なことについて、少しエッジの効いた感覚を持っていました。それは痴漢についてとか、セクハラについてとか、レイプについて、LGBTについてを考える機会に恵まれていたからだと思います。

一番身近だったのは、「子宮頸がんワクチンのお知らせ」が家に届いたとき。子宮頸がんワクチンは、自治体によって無料で受けられるものでしたが、副作用に非常に重篤なものがある、と言って受けたがらない人もいました。私の母がそのうちの一人で、当時高校生、未成年だった私は、そのワクチン接種を見送りました。

しかし、自治体で通知が来るほど推奨されているものだし、本当に受けなくていいのか、そもそも子宮頸がんとは何ぞや、ワクチン接種で避けられる癌が存在するの?という疑問のもとその病気について調べ、友人と意見交換をしてみたのです。

結果、「ヤリマン病じゃん」という所に話は落ち着きました。

子宮頸がんとは、ヒトパピローマウイルスという男性器にしか存在しないウイルスが、女性器に入り込むことで発症することがあるウイルス性の癌で、ウイルス性の癌ということはコンドームを付けることで予防できるそうで、コンドームを付けない女性=ヤリマンである、という軽薄な方程式を私たちは組み立てたわけです。

あまりにも思いやりのない、他人事な結論でしたが、そこで私は思いました。

「私にはヤリマンになる権利がない」

当時の私は、フランス革命期の市民になりきって、自分の権利を主張することばかりを考えていたので、その権利を取り上げる母に対しての憤慨が生まれ、ヤリマンへの好意的感情に変りました。もちろん処女であった私は、実際の性行為などは妄想で補うばかりで、その手の届かなさ故に、ヤリマンに対する憧憬はどんどん募っていきました。

日本では多くの場合、神聖視されがちな性行為ですが、それを気軽に行って楽しむヤリマンという存在が、パンクロッカーのように伝説的に輝いてみえたのです。妊娠も性病も恐れないで、恥ずかしげなく自分の欲望にのみ従い楽しむ。人間の目指すべき在り方にも思えました。

 

それからしばらくして、私も初体験を迎えました。

しかし、相手も初めてだったということと、サイズ的な問題で、全然よくなかった。え?ヤリマン達ってこんなキツイことしてるの?毎回ローション使わなきゃ使い物にならないの?じゃあ一人でやっているほうがよくない?

セックスに対する意欲はどんどん下がっていき、その彼氏ともすぐに別れてしまいました。

 

いやー、でも私はもしかしたら天性のヤリマンだったのかもしれません。

別れた後も欲するんですよね、体が。ブツを。おもちゃを買うのは空しすぎて抵抗あるし。それで次に私がしたことは一緒にしてくれそうな男探し。見つかって、サイズも良かったし研究熱心だったし、あ~良いな~と思っていたのですが、そこで私に迫ってきたのが、セックスと恋愛感情を切り離せない問題。自分でもおかしいと思うくらい盲目に飢えていて、本当にバカだった。その時は自分が天性のヤリマンだっていう感覚は全然なくて、普通に恋する普通の女の子だと思ってました。ウンウン。

世の中には適材適所という言葉がありますから、適した場所に適した人を。ヤリマンに普通の恋路など与えてはメンヘラが生まれるだけです。

 

ヤリマンがヤリマンらしく健康的に楽しむためにはどうしたらいいんだろう。

ヤリマンでも尊重されて、自分らしくあれるのはどういう場なんだろう。

 そんなことを考えてみたくて作ったセックスコラムブログです。

 

色々な表現の拙さにはご容赦を。樵系の言葉をつかわざるを得ないときがあるかもしれません。少し時間がかかるかもしれませんが、よろしくお願いします。

 

私に希望を与えてくれた”Sex and The City”関係者に多くの感謝を込めて。

 

リトル・キャリー代表